五色沼の色と謎

五色沼とは
 五色沼とは正しくは「五色沼湖沼群」と呼ぶべきものです。明治21年7月15日に起きた磐梯山の水蒸気爆発(噴火ではなく)によって30億トンともいわれる岩石と泥流が桧原村に向かって飛んだり流れたりして、たくさんの川を塞き止めたために、大災害を起こしてしまいます。犠牲者は477人におよび明治以後の火山災害で最大のものでした。
 やがてこのあとに誕生したのが桧原湖、小野川湖、秋元湖を始め300を超える湖沼群です。その中でも酸性度の高い沼が独特の色を見せていました。その特徴ある沼をさまざまな色があることから五彩の沼五色沼とよばれてきました。それぞれの沼の名前は恐らく地主のかたが主につけたものと思われます。

 五色沼には2つの水系があり、ひとつはるり沼、青沼、弁天沼いう強酸性の流れです(るり沼には磐梯山中腹の(あかぬま)の強酸性の水が地下から湧き出ていると言われます)。ここに涌き水の赤沼からの流れが入ります。もうひとつ弥六沼、母沼、父沼、柳沼の流れがあり、こちらは酸性度の低い水系です。この流れは酸性の流れと合流して途中の沼に溜まって竜沼に入ります。そしてみどろ沼、清水沼、井戸沼へと流れて毘沙門沼に注いでいます。
 この湖沼群を観察できるように遊歩道を整備することになりますが、名前のついた沼だけでなく周囲にはたくさんの池や沼が散在します。国立公園内でありみだりに進入できませんが、春先は遊歩道からいくつか見ることができます。

 五色沼の色はそれぞれの沼に特徴がありますので、そこで述べますが、沼によって水の成分と沈殿物に差があるために独特の色を見せます。大事なのは太陽光です。この当たり方によってさまざまに色の変化をみることになります。裏磐梯の湖沼は冬にほとんど凍結しますが、五色沼だけは毘沙門沼の一部と弁天沼、弥六沼から柳沼の水系を除いて凍結しません。それが沼の色とおおいに関係があるのです。
(写真はみどろ沼)




トップへ
戻る
次へ